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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)4213号 判決 1991年3月07日

原告

ラマル・ジョン・ヘンリ

被告

西野勝美

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、金二五一万〇六九〇円及びこれに対する昭和六三年一二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を被告らの連帯負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決の一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、各自、金三一九万三八四二円及びこれに対する昭和六三年一二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和六三年一二月二日午後五時三五分頃

(二) 場所 大阪市天王寺区夕陽丘町一番一号先 府道大阪和泉泉南線路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(なにわ五五い一三六三号)(タクシー)

右運転者 被告西野

(四) 被害車 自動二輪車(なにわみ九六三七号)

右運転者 原告

(五) 態様 加害車が時速約四〇キロメートルの速度で前記道路の第二車線(四車線中の左側から二番目の車線)を南から北に向かつて進行中、道路左側歩道にいた乗客を拾おうとして、いきなり減速しながら第一車線(一番左側の車線)に進路変更したため、第一車線を同方向に進行していた被害車が急ブレーキをかけてこれを避けようとしたが、間に合わず、加害車左前部に接触したうえ、路上に転倒した。

2  責任原因

(一) 被告西野(民法七〇九条)

被告西野は、左側に進路を変更するに当たり、その後方から進行してくる車両の有無及び安全を確認のうえ、左側に車線変更すべき注意義務があつたにもかかわらず、タクシー客を拾おうとして右注意義務を怠つた過失により、本件事故を発生させた。

(二) 被告会社(自賠法三条、民法七一五条)

被告会社は、本件事故当時、加害車を所有し、これをタクシーとして自己の業務のために使用していた。また、被告西野は被告会社の従業員であり、その業務の執行中、前記過失により本件事故を起こした。

3  原告の受傷及び治療の経過

原告は、右脛骨骨折、右膝関節血腫等の傷害を負つて、大阪逓信病院において次のとおり治療を受けたが、右入院中、肺炎に罹患し、以後、そのための治療も受けた。

(一) 昭和六三年一二月二日から昭和六四年一月五日まで入院(三五日)

(二) 昭和六四年一月六日から平成元年九月一三日まで通院(実通院日数二八日)

二  争点

1  原告の肺炎罹患と本件事故との相当因果関係

2  損害額

特に、

(一) 休業損害の額(原告の収入の程度及び相当な休業期間)

(二) 原告は本件事故後フランスに一時帰国したが、それに要した航空運賃が本件事故と相当因果関係に立つ損害といえるか。

第三争点に対する判断

一  原告の受傷内容、治療経過並びに肺炎の罹患と本件事故との因果関係

1  原告の受傷内容及び治療経過

前記第二の一3の争いのない事実に、甲二号証の1ないし3、八号証、一四号証の2、二一号証(一部)、二九号証、乙五号証の1、2、八号証、九号証の1ないし4、一〇、一一号証、一二号証の1、2、一三号証の1ないし4、一四号証の1、2、一五号証の1ないし3、一七号証の1、2、一八、二〇号証、二一及び二二号証の各1、2、二三号証、二四号証の1ないし三、二九及び三〇号証の各1、2、三一ないし四一号証、四六、四七号証、四九号証の1ないし11、五〇号証の1ないし7、原告本人尋問の結果(一部)を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 原告は、一九五五年(昭和三〇年)四月二日生まれ(本件事故当時三三歳)のフランス人で、昭和五九年から日本で生活していたが、昭和六〇年一二月に上森星美と結婚し、日常会話程度の日本語は一応話すことができる。

なお、原告は、昭和五四年頃に腰椎板ヘルニアの手術を受けたことがあるほかは特に大きな病気や怪我をしたことがなく、本件事故当時の健康状態は良好であつた。

(二) 原告は、本件事故後直ちに辻外科病院に搬送されて受診したところ、右脛骨骨折が認められ、膝内障の疑いもあつたことから、大阪逓信病院整形外科を紹介されて同病院に入院した。そして、昭和六三年一二月六日に行われた関節鏡による検査の結果、原告の右膝部に前十字靭帯損傷(延長、弛緩)、内側半月板の微小裂及び内側脛骨軟骨面の微小な段差が認められたが、保存的加療で足りると診断され、同日からギプスで固定されるとともに、投薬等の治療がなされた。なお、原告は、右入院に際して胸部のレントゲン検査等も受けたが、右膝の負傷部位を除いて特段の異常は認められなかつた。

(三) 右入院中の原告の経過は順調で、年末年始には外泊が許される予定であつたが、同月二五日頃から胸部痛が生じたり、三八度台の発熱が認められ、さらに同月二七日には血痰も出たことから、胸部のレントゲン検査が行われたところ、左下葉に肺炎像が認められたため、同月二八日から同病院第二内科に転科し、肺炎に対する投薬、点滴等の治療を受けた。その結果、原告の症状は軽快し、また、原告の強い希望もあつて、原告は、昭和六四年一月五日、同病院を退院するに至つた。

なお、原告は、整形外科入院中は、食事がまずいと文句を言つて半分ほどしか食べないこともあつたが、それ以外に特に食欲不振を訴えたことはなく、また、一時期入眠不良を訴えたこともあるが、特に睡眠不足による身体の不調を訴えたことはなかつた。しかし、原告は、肺炎が発症した頃から食欲不振を訴え始め、また、入眠不良や睡眠不足もあつて、ノイローゼ状態に陥り、不機嫌となつて看護婦に対して拒否的な態度をとつたりしていた。

(四) 原告は、平成元年一月九日から同病院の整形外科に通院し、可動域改善のためのリハビリ療法を受けていたところ、同月二三日にはギプスが完全に除去され、三分の一の免荷歩行(松葉杖による歩行)も許された。しかし、原告は、同月二七日に胸部痛を訴え、さらに同月二八日には血痰も出たため、肺炎が再発したとして同病院第二内科への入院を勧められたが、原告は、これを拒否し、整形外科におけるリハビリ治療を中止して第二内科に通院して治療を受け、同年二月一七日、肺炎については治癒したとされた。なお、原告は、血痰が続いたため、同年二月七日、第二内科から同病院の耳鼻科に紹介されて受診したところ、咽頭から喉頭にかけての充血が認められるとして急性咽喉頭炎と診断され、投薬を受けた。

一方、右膝部については、同月二二日からリハビリ治療を再開したが、経過は順調で可動域の制限も大幅に改善され、同年三月三日には、同病院整形外科の稲岡医師(主治医)により、骨折はほぼ修復されて靭帯損傷による不安定性もほとんどなく、片足歩行(杖歩行)も可能であると診断された。

(五) 原告のノイローゼ状態は、右退院後も続いていたところ、原告は、精神科医をしている父からフランスに帰つて静養したほうがよいと勧められて一時帰国することを決意したが、妻の仕事の関係で出国が遅れ、平成元年三月八日、妻を伴つて、両親のいるコルシカにパリ経由で帰国した。そして、同月一三日から同月二九日まで同地の整形外科医のもとに通院(実通院日数三日)して右膝の状態を診てもらつたところ、半月板には異常はないが、靭帯がずれている、また、筋肉が弱く、筋肉のリハビリを継続するとともに関節を固定するリハビリを継続しなければならないと診断された。

一方、原告は、父からは、本件事故による心的外傷による反応として、不眠症、精神的混乱、自信喪失、将来への不安によるノイローゼ的うつ状態にあると診断されて抗うつ剤の投与などを受けたが、同月末頃、このような状態はフランスにおける治療及び家族との滞在によつて改善されたと診断され、原告らは同月三一日に大阪に戻つた。

(六) 原告は、右再入国後の同年四月三日、大阪逓信病院整形外科で受診したところ、膝痛はあるが、右膝の不安定性もほぼ消失したと診断された。原告は、その後もリハビリ治療を継続したところ、同年六月一九日には歩行時の痛みもなく、レクレーシヨン・スポーツも可能と診断され、同年九月一三日に稲岡医師により治癒したと診断された。

(七) 原告は、平成三年一月四日、同病院整形外科の中村医師により、骨折は治癒しており、右膝前十字靭帯不全もスポーツ活動を行わなければ日常生活動作レベルにおいて支障は生じないと思われるが、脛骨関節軟骨面の不整が残存し、特に寒冷期及び長距離歩行時の右膝痛は今後も残り、加齢とともに増悪するものと考えられると診断された。

2  肺炎罹患と本件事故との因果関係

甲一二号証によれば、肺炎発病の原因としては、肺炎双球菌等の病原菌に冒された場合や、シヨツクや外傷によつて局所の急性又は慢性の抵抗力低下によつて、上気道にある細菌叢から感染する場合などが考えられるところ、前記認定の原告の本件事故前の健康状態、原告の受傷部位、程度、症状の推移等に照らすと、原告は、前記大阪逓信病院整形外科に入院中に肺炎双球菌等の病原菌に感染して発病したか、本件受傷によつて身体の抵抗力が低下して発病したか、あるいはその双方が原因となつて発病した可能性が高いと考えられる。

したがつて、原告の肺炎罹患と本件事故との相当因果関係は否定できないというべきである。

二  損害額〔原告主張額合計三五五万〇六三二円〕

1  治療費 一八万九一九〇円

甲三号証、四号証の1、2、二三号証の1、三〇号証によれば、原告の前記治療及び後遺障害の診断のため、被告らによる既払分を除き、合計一八万九一九〇円を要したことが認められるところ、前記認定の事実によれば、いずれも本件事故と相当因果関係に立つ損害と認められる。

2  文書料 三〇〇〇円

甲二三号証の2によれば、診断書及び診療報酬明細書の交付を受けるために右金額を要したことが認められる。

3  入院雑費 四万二〇〇〇円

原告の前記入院期間中、一日当たり一二〇〇円の雑費を要したものと推認することができるので、三五日分で四万二〇〇〇円となる。

4  付添看護費用 九万五五〇〇円

(一) 入院付添費 八万五五〇〇円

甲二六及び二七号証の各1、2、によれば、原告は、整形外科入院中の昭和六三年一二月二日から同月一一日までの一〇日間及び肺炎治療中の同月二八日から昭和六四年一月五日までの九日間付添看護を要し、その間、原告の妻が付き添つたことが認められる。近親者による付添費は一日当たり四五〇〇円とするのが相当であるから、入院期間中の付添費相当の損害額は八万五五〇〇円となる。

(二) 通院付添費 一万円

甲二七号証の1、2によれば、原告が平成元年一月二七日から同年二月二七日までの間に大阪逓信病院第二内科に五回の通院をするについて、同病院の医師により付添が必要と診断され、妻が付き添つたことが認められる。通院付添費としては、一日当たり二〇〇〇円とするのが相当であるから、右付添費相当の損害額は一万円となる。

5  渡仏費用 一四万五〇〇〇円

甲五号証、原告本人尋問の結果によれば、原告が一時帰国した際の往復の航空運賃として一四万五〇〇〇円を要したことが認められる。

ところで、前記認定の事実によれば、原告が帰国した当時は、右膝の状態も相当よくなつていたうえ、肺炎も二月下旬にはほぼ回復していたものであるが、反面、(1)甲二一号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故直後から本件負傷が完全に直るか不安を感じていたところ、前記のとおり、肺炎に罹患して外泊も取り消されて以来、原告の精神状態はかなり悪化し、退院後もその状態が続いたこと、(2)前記のとおり、原告は、退院後、精神科医をしている父からフランスに帰つて静養したほうがよいと勧められたことなどの事情が存し、さらに、(3)右各証拠によれば、原告は、現実の受傷の程度及び症状の推移に比して、自分の症状や回復の見込み等を相当深刻に受け止めていたと認められるが、これには会話能力等の関係で医師との疎通が十分でなかつた面が窺えることなどを考慮すると、外国人である原告が精神状態の改善を図るために一時帰国し、また、同国人医師による診断、治療を受けたことをもつて、不必要、不相当ということはできないというべきである。

したがつて、右帰国のために要した航空運賃も、本件事故と相当因果関係がある損害と認められる。

6  休業損害 一四〇万円

(一) 甲六号証の1ないし4、七号証、一六号証の1ないし3、一七号証の1ないし5、二〇及び二一号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和六〇年六月から大阪日仏センターにフランス語の講師として勤務し、本件事故前の三か月間に一か月当たり平均一五万二四七五円の給与の支給を受けていたところ、前記受傷及び肺炎の罹患により、入院期間中のみならず、平成元年一月から三月までの冬期講座を担当できず、また、カリキユラム編成上の都合もあつて、同年四月から六月までの春期講座も担当しなかつた。

しかし、同年六月から同センターのテキスト作成の仕事に従事し、また、同年七月三日開講の夏期講座から講師としての仕事を再開した。

(2) 原告は、右講師として勤務する傍ら、同僚等からの紹介により、個人レツスンや翻訳の修正、英文から仏文への翻訳等のアルバイトをして収入を得ていた(具体的な収入額は不明である。)ほか、昭和六二年一二月からは一年間の約束で仏和辞典の挿絵約四〇〇枚を描く仕事を初めていたが、その仕事に専念するため、大阪日仏センターでの勤務時間を減らしたり、他のアルバイトの仕事を減らすなどの調整をしていた。そして、本件事故当時は約三五〇枚の挿絵を仕上げており、残りは締切りを延ばしてもらつて入院中及びその後の通院中に完成させ、平成元年一月ないし三月に一八二万円(税込み)の支払いを受けた。

(3) 原告は、大阪日仏センター復職後、平成二年一月から担当講座を増やし、同年五月には二〇万一五〇〇円の給与を得ている。

(二) 以上の事実に、前記認定の原告の受傷の部位、程度、症状の推移及び治療状況に、本件事故当時の原告の生活状況等を総合考慮すると、原告は、本件事故当時、継続的、安定的な収入としては、控えめにみて、一か月当たり二〇万円程度であつたと推認するのが相当であり、本件事故により、原告は、昭和六三年一二月二日から平成元年七月初めまでの七か月間、その収入を喪失したものとして休業損害を算定するのが相当である。

したがつて、本件事故と相当因果関係に立つ休業損害の額は、一四〇万円となる。

7  慰謝料 一〇〇万円

本件事故の態様、原告の受傷内容、治療の経過、その他諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、一〇〇万円とするのが相当である。

8  物損関係

(一) 被害車 一一万九〇〇〇円

甲一九、二一、二五号証、検甲一〇ないし一六号証、原告本人尋問の結果によれば、被害車は昭和五七年に初度登録されたヤマハXJ七五〇であり、原告は、これを昭和六二年七月に一七万円で購入したところ、本件事故により大破し、その修理に六〇万円以上を要する旨の見積りがなされたことが認められる。

したがつて、右修理費が被害車の本件事故当時の交換価格を著しく超えることは明らかであり、経済的全損として、交換価格からスクラツプ価格を控除した金額が本件事故による相当損害というべきであるところ、その初度登録年、原告の使用期間等を考慮すると、損害額は右購入価格から三〇パーセント控除した一一万九〇〇〇円と認めるのが相当である。

(二) 被害車修理見積り費用 一万円

甲一八号証によれば、原告は、被害車の修理費の見積りをしてもらうために一万円を要したことが認められ、これを本件事故による損害と認めるのが相当である。

(三) 手袋及びヘルメツトの代金 一万四〇〇〇円

甲二一号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故により、当時着用していたヘルメツト及び手袋を損傷し、合計一万四〇〇〇円程度の損害を被つたことが認められる。

(以上1ないし8の認容額合計 三〇一万七六九〇円)

三  損害の填補

原告は、被告会社から、休業補償として七三万七〇〇〇円の支払いを受けたので(当事者間に争いがない。)、これを右損害額合計から控除すると、残損害額は二二八万〇六九〇円となる。

四  弁護士費用〔原告主張額三八万円〕 二三万円

本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、二三万円と認めるのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

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